「僕たちが鵜来(うぐる)島にこだわり続ける訳。」


「僕たちが鵜来(うぐる)島にこだわり続ける訳。」

画家 海野貴彦

僕たちは四国は高知県の左下、そこからしばらく船に揺られてやっと辿り着ける場所、鵜来島に毎年夏になると向かう。2010年から通い、今年で5年目になる。

25歳だった者は30歳に、
35歳だった者は40歳に、
そして、80歳だった人は、85歳に。
まあまあの年月だ。

この島は笑っちゃうほど何も無い。
お金を使えるのは島の入口にあるコーラの自動販売機だけだ。スーパーマーケットも病院も美容院も警察も消防署も、車だって一台も無い。
自転車は冗談のように一台だけある。そもそも道も信号機も無いんだからやっぱり冗談用なのだろう。
島民は20名強、人の命なのに20名強など失礼な言い方をしているのは、僕らが通い始めた頃は30名弱、と言っていたからだ。
最盛期には400名程、この島で暮らしていたらしい。それもそんなに昔の話ではない。
あまり想像をしたくないけれど、この島から人が居なくなるのを想像するのは、あまり難しくなくなってきている。

僕たちは、この島に出会ってから、この島の出来事は将来の日本の縮図ととらえた。
それもかなり勝手な話だけど、そう思い込んで頼まれる訳でもなく積極的に関わらせてもらっている。
この島の、当たり前におこる出来事に寄り添い、僕たちに出来ることは何だろうか?と島と考えながら活動をしている。

理由は至ってシンプルだ。
それは、ここの空が底抜けに明るく、海に浮かべば空を飛んでいるような気分が味わえ、夜は寝転べば流れ星がいくつも流れる。生き物としての本当の豊かさを教えてくれるからだ。

そして、そんな都合良く、夏だけに来る僕たちを、
島のじいちゃん、ばあちゃんは夏に帰ってくる孫のように思ってくれているからだ。
僕たちの心からの願いを言いたい。
良い場所だからみんなで行って遊ぼうよ。
この夏も島が待っている。