「龍宮学校」
高知県西南に位置する鵜来島は、人口20名強の限界集落島。海から見てひと際目立つ白い小中校舎は、1987年に廃校となり、現在に至っています。しかしそこは、時が止まったかのような心地のよい世界が広がっています。
この「龍宮学校」では、時代の波に飲まれ廃校となった学校に再び生命を吹き込むことで、島の未来を考えるきっかけにしようと考えます。
島を訪れた人みんなが、先生になり、生徒になる「みんなのふるさと」島で学び、「みんなのふるさと」へ持ち帰る。
あなたが龍宮学校から持ち帰る玉手箱には、なにが入っているでしょうか?
「龍宮学校」
■日時 2012年8月16日(木)~8月19日(日)
■場所 高知県沖の島鵜来島 現地集合解散
■募集人数 30名様まで ※予約先着
■入学金 大人: 3500円/1泊 子供(中高生以下): 3000円/1泊
■申込〆切 2012年8月14日(火)
■問い合わせ先 申込予約: rukuruinfo@gmail.com 問い合わせ: 090-8045-2322(岩田) ※折り返し振込先をご連絡さしあげます
■URL http://rukuru.info/ryugugakkou/
■主催 アート・パーティ るくる http://rukuru.info/
■共催 鵜来島地区
■協力 島を守る会 母島空き家ART2012 リキテックス ターナー株式会社 鵜来島アートプロジェクト
入学金には、滞在中の食事、宿泊代を含みます。
最大3泊の入学が可能です。入退学日を事前にご予約下さい。
いずれも宿毛片島港からの往復船代(1300円)を含みません。
宿泊は全生徒、学校教室をご利用いただきます。
※当日キャンセルの場合、100%負担いただきます。
■合宿オプション 代替記憶「龍宮学校」ARG部
生徒/先生
島のおじいちゃんおばあちゃん
海野貴彦(画家) http://www.gakaya.com/
金子淳子
神津陽(宇和島出身文筆家)
川嶋慎平
岸井大輔(演出家)
京極巳執(フォーチュンぽえむマン)http://ameblo.jp/midorikyogoku/
斉藤誠
酒井貴史(劇団無敵) http://butubutukoukanjyo.web.fc2.com/
桜井貴(美術家) http://mixi.jp/show_friend.pl?id=14783538
隊長檸檬(幻想戦隊レモネード) http://genlemo.com/
田中辰典(鵜来島区長)
田中良典(EXCALIBUR) http://www.entaku.net/
谷本徳光(島を守る会副会長)
土田千遥
中津川昴(超常現象研究家)
なかひらじゅんこ(イラストレーター)
西森美雪
濱田竜也(鵜来島アートプロジェクト主催)
はっちゃけ
バンギ・アブドゥル(現代西洋魔術)
仁葉工芸(あーてぃすと)
フフフーン部シンイチ(画家) http://fufufu-n.sblo.jp/
松岡友(魔術系オカルト美術作家) http://www.tomomatsuoka.com/
松村雄記(サウンドアーティスト) http://www.yukimatsumura.org/
三重
森田浩路(陶芸家)
生徒会
全校生徒
島
注意事項
龍宮学校は、限界集落の島の廃校を舞台に繰り広げられます。通常、島は一般客を受け入れておりません。
本イベントは、島の復興を目的としたアートプロジェクトの一部として企画されております。
参加条件及び学校規約をご理解いただける方のみ、ご参加いただけますよう、宜しくお願いいたします。
※龍宮学校の校則に従えない生徒は、やむなく退学にさせていただくこともあります。
※島及び、島の皆様に負担をかけない為、島の生活環境へのむやみな撮影はご遠慮願います。
※龍宮学校生徒会は一切の責任を負いかねます。天災、事故等、全て自己責任の上でご参加下さい。
※食住、最低限のものはご用意致します。ゴミは出来るだけお持ち帰り下さい。
※島内には自販機が一台のみ、商店はありません。
※SOFT BANKは圏外です。
【ある家の肖像】展 ~一夜の家族、ご用意します~
まもなく、死を迎える可能性のある家。
選択したつもりは無い。
しかし、結果この家で、10年以上家族と生活をした。
その時間は消すことのできない記憶として 、私の中に刻み込まれた。
家の中で私は確実に、存在を認められていた。
家族というコミュニティの子供の役柄を与えられ、振る舞うことに、何の疑問も感じなかった。
家から飛び出した後、私の役割は消失した。
私は、あの家にとって死者となった。
帰っても、そこに居場所はなく、まるで客として扱われた。
一度離れると、役割は取り消され、もう戻ることはできなかった。
例え、家族が居ようとも、住まない人間はコミュニティに入ることができなくなる。
血の関係など、書類上のものに過ぎず、距離は関係を分断する理由になり得る。
そして、父が亡くなり、その崩壊は加速する。
無理矢理繋いでいた円は一気に崩れ、皆この家を出ていった。
脆い絆で繋がれていた家族は、それぞれ別の世界に旅立った。
あの世や、東京や、大阪に。
家にとっての私達家族は死んだ。
今この家に住むものは居ない。
脱け殻のような家になってしまった。
久々に家を訪れた私は、その空虚な空間にまだ少しだけあの頃の記憶が残っているのを感じた。
それは、ただの追体験なのかもしれない。
しかし、その記憶は私を圧倒し、凝縮された10年近い年月を走馬灯のように走らせた。
あの頃にはもう戻れないとは理解しつつも、戻りたいと思った。
唯一存在価値が認められていた、あの時代に。
家に再び息を吹き込むことは可能なのだろうかと考えた。
この家が最後に輝く為に、喩え偽物であっても魂を込めなおし、一番美しかったころの記憶を再現できないだろうか。
そして、回帰することの不可能を自らの魂に刻み付け、二度とうしろを振り向かないように。
ある家が、失われた家族と再会する、最期の季節。
その刹那、時間は失われ、彼岸と此岸が邂逅する。
2012年4月27日、父、松岡洋の命日、一夜、家は開かれる。
松岡 友
沖の島アートプロジェクトvol.3「アーカイブ展」
高知県の鵜来島を舞台に、そこに伝わる歴史や説話を下敷きとした同名小説の世界を追体験しつつ、謎を解く鍵として出展者たちの作品に接し、未完の作品世界を補完していく——
以上のように、この「るくる島黄金伝説」のあらましを祖述すると、現代アート界に既に定着して久しいサイトスペシフィックというコンセプトや、近年オタク文化界を越えて注目を集めている〈聖地巡礼〉というムーヴメントの一つの応用−流用例として受け取る向きもあるかもしれない。
しかしこのイベントの射程は以上のような近年の諸動向との表面的な類似というところとは別のレヴェルから測られなければならないだろう。ここにおいて目指されているのは、現実の場所を体験することと小説の世界を追体験することとが一致しているという状態であり、さらに言うと、小説/物語の世界の変容が現実の場所のあり方や様態を変容させるという経験である。そこでは作品は単にその場に置かれた物であることをやめ、世界そのものに意味があるというアレゴリー的思考へと私たちを導くことになる。アレゴリーを通して、私たちは世界を拡張させ、現実を変える契機をつかむことができる。
かつて大江健三郎は『万延元年のフットボール』において、愛媛県の山村を伝統と近代、過去と現在、現実と超現実といった要素が交錯する場として描き出し、登場人物たちの変容を通して、これらの要素が複雑に絡み合って閉塞している日本という場所の変容を試みた。この「るくる島黄金伝説」もまた、そのようなアレゴリカルな物語を通して現実を変容させる試みにほかならない。
(text: 前田 裕哉)
海路近未来出版社「フォークロア文庫」
「セレンディピティの扉」
きっと、始めに物語が在った。
あなたは、自己の意識が身体の何処に格納されているのか?という言及を自身へ投げ掛けた事は無いだろうか?
前提として、本当に、身体内に意識は格納されているのだろうか?
身体の生成以前に意識が存在し、寧ろ、その意識の素粒子こそ、身体を生成する質量を伴った情報だとしたら?
その意識は、身体を俯瞰するラグランジュポイントに静止していないだろうか?
時空間や物体の生成以前、無に誕生した、やがて意識と真名される物語の原始は、神代における飯事として増幅を繰り返しながら、あなたの二重螺旋に保存されている。
二○十一年八月、貨幣経済の全滅としての未来に恐怖する国家を嘲笑するかのように、限界集落の孤島に上書きされた現実の原始「るくる島」にて開現した「るくる島黄金伝説」は、物語と現実の次元域を流麗に移動しながら、人間本質の本来の営みとして、二重螺旋の深淵で呼吸する神話へのエンカウントを試みた。知覚の狭間で、意識は現実外現実と交信し交換し、既存の階層を跳躍する。それは、自己と他者、内界と外界を呼応させる装置として機能した。まるで、変調する存在証明を回復するように。
永遠に眠り続けるかも知れない身体を、意識はそっと揺り起こす。
二○十一年十月、豊穣なる作家のフラグメントとして「るくる島」は継続する。身体が認識し得る次元領域、現次元に幽閉された神話の種子を解放するため、逆位相からのオーバーレイを時空間へ加法する。深淵に覗かれ始めたプレイヤー/キャラクターは、俯瞰する鑑賞者の意識を同次元へ召喚し、それこそが、かつての未来として描かれていた、現実への美しい消失点であり、身体外意識と高次元領域を紡いだ、新世紀の飯事⇔神事へのヒューマン・コンパスとなる。現実に抵抗する物語の括弧が、美しく上書きされた幻想現実のフィールドとして誕生する。
きっと、終りに明日が在る。
(text: 真名井 良秀)